第九を歌う~鳴門の第九、609人の歌声(その1)~5月30日

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何故「なるとの第九」なのかは
NPO法人鳴門「第九」を歌う会のホームページに詳しくでている。
http://www.naruto-9.com/
第1次世界大戦中の大正6年(1917)から大正9年(1920)の約3年の間、
鳴門市板東に俘虜収容所があり、約千人のドイツ兵が収容されていた。
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彼らは音楽、演劇をはじめ橋の築造にいたるまで
様々な文化活動や事業を行った。
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収容所内においてそのような活動をしていたことはもちろん驚くべきことだが、
俘虜となった兵士にそのような活動を許していたこともまた驚くべきことといえる。
様々な文化活動を進めていく中で彼らは地元の人々との交流を深めていった。

ベートーヴェンの「第九」交響曲はそのような状況のなかで大正7年6月1日、
ドイツ兵によって演奏された。
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それがこの曲の日本での初演となった。

鳴門市では6月の第1日曜日を「第九の日」と定め、全国から仲間を募って、
歓喜の交響曲を歌い続けている。


演奏会の前日(5月30日)、収容所跡地のドイツ村公園、ドイツ館を訪れた。
3台のバスを連ねた。
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跡地の半分は公営住宅になっているが、
残された施設跡など当時の生活が忍ばれた。
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            (ベートーベン像)
見学のあと、道の駅とドイツ館の間にある記念陶板を見に行った。

実は今回の目的は陶板に焼き込まれた前年(平成25年6月2日)の演奏会記念写真を見るためだった。

昨年の全国からの出場者646名のステージ上の写真。
その下に個人の氏名。


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           (たたみ2畳大の記念陶板を後ろに第3組 集合)
陶板を食い入るような目で探す人たち。
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私も、昨年の自分のステージ上の立ち位置を思い出しながら探した。

あった、名前も確認した。


他の人もそれぞれが、自分の写真、名前を見つけて声を上げていた。
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100年は保つ様なことを聞いた。
ようし、100経ったら再訪しよう??
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ドイツ館では音楽劇の公演「はいけい、しょちょうさん」を見て、
見学の私たちも最後に一緒に歌って、ワークショップに参加した。

なるとの第九 公演については次のブログで。

PS:ウイキペディアから
戦時下においては陸海軍とも国際法を遵守し、ドイツ軍捕虜を丁重に扱った。
青島の捕虜約4,700名は徳島県板東など十数か所の収容所に送られた。
多くのドイツ軍捕虜は収容所に1919年ヴェルサイユ条約締結まで長期に渉り収容された。トラブルも生じたが、比較的自由な取り扱いを受けた。
特に板東俘虜収容所での扱いとしては、ドイツ兵は地元住民との交流も許され、ドイツ料理、ドイツパン、バームクーヘンやビールをはじめ、サッカー、鉄棒体操など数多くのドイツ文化が日本人に伝えられた。
中でもドイツパンとして現在も製造販売しているものもある。 

PS2:更に興味のある方は以下を参照してみてください。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h18/jog450.html 

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